チベット人社会は、モネストリー(チベット僧院)を中心とした、仏教社会である。四大宗派(ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派)があり、ダライ・ラマ法王は宗派を超えて最高指導者の位置に座している。

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モネストリーの仕事

いつもどんな仕事をしているのかを聞くと「フリーランスのような仕事だよ」という。彼は普段の仕事に加えて、ボランティア活動を行っているそうだ。車の手配や、それに、必要な医療の手配。

医療の行き届いていない農村部。貧困で支援が必要な地域の患者に、大都市のデリーでしか受けられない医療(特に外科的手術)が必要なケースがある。コミュニティを通して連絡があると、彼とその友達が主だって手術を手配をしている。

急を要し、準備資金に余裕がない時は、サポートをしてくれている欧米人の裕福層(チベットを支援するネットワーク)に寄付を依頼するなどし、時には建て替えながら、チベット仏教高僧 ゲシェ・ペマ・ドージ/Geshe Pema Dorjee(*1 チョーダックさんの恩師でもある)とともに資金調達に動く。そして、デリーの病院で手術を手配し、家族の代わりに患者のケアもする。

最近の例でいうと、タワン/Tawang(中国とブータン国境近く、アルナーチャル・プラデーシュ州の村)で背骨に大きな疾病を抱えた小学生の女の子のケース。「背骨にスクリュー(金具)を入れる。特別なスクリューボルトをその体に埋め込む手術は、インド政府系の病院でも値段が高く、私立の病院では更にそれより高い。その患者の家族にとってはとても払える額ではないんだ。」

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チョーダックさん。マジュヌカティラ地区、ゴンパ前の広場にて。
チベットの地図
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©️ Central Tibetan Administration : Map refer from : http://www.himalayamasala.com/himalayan-maps/map-tibet-under-pr-china
亡命二世のルーツ

チベット人でありながら、祖国の地を踏まずに育っているチョーダックさんは、父親の話を聞かせてくれた。

「お父さんはゲリラとして戦った戦士だった。」
中国に隣接したチベットアムド州/Amdo出身だったチョーダックさんの父親は志願して、ゲリラになった。「当時、父は結婚しており妻もいたが、家を出て、国の存続のために戦うことに。緊迫し、攻防していた時期。だんだんと南に押しやられ、インドに出た。結果、チベットに戻ることができなくなった。」

現在インドに住んでいる多くのチベット人は、祖父母や両親が亡命の道を選び、弾圧の激しくなるチベット本土から逃げてきた人たち。そして現在も危険を冒し、亡命して来ているチベット人の後は絶えない。

チョーダックさんが、お父さんの教えで覚えているのは2つ。
1つは「中国人は敵だ。」
「これは、(国境近く中国との戦闘の最前線にいた)父親の時代特有のものだったから仕方がない。」と彼はいう。「子供の頃から耳が痛くなるほど聞かされた洗脳は、解くのに時間がかかったよ。」

2つは「ダライ・ラマの言うことを聞きなさい。」ということ。
「チョーデックさんやチベットの人々にとって、ダライ・ラマとはどういう存在なのですか?」と聞く。彼は「ブッディズム。ブッダの教え、そのものだ。」と言った。

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引き裂かれた家族

もう一つ、父親にまつわる悲しい話がある。
チョーダックさんの父親は1991年3月に亡くなった。そして、その2ヶ月後。チベットからの亡命者が、家を探し当て、ある預かった手紙を手渡しに来た。それは父親の前の妻からのものだった。そこには『戻って来てください。待っています。』と、書かれていたという。

チョーデックさんの父親と母親は、インドで出会って家族となり4人の子供をもうけていた。そのことは、チベットに残された前の妻には知る術がない。

家族は、その前妻に宛て、父親が亡くなったこと、家族がこちらにもいることを書き、写真を添えて送ったが、そのまま二度と返信は無かった。「おそらく待ち続けていたのでショックだったのだろう。」と、彼は悲しく言った。

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チベットとダライ・ラマ法王

ダライ・ラマ法王14世は、1989年にノーベル平和賞を受賞し、それ以降も西側諸国の人々にメッセージを送り続けている。国際的な立ち位置において発言力があるために、インドという国に守られている。

『ダライ・ラマ法王制度』は血筋でなく輪廻転生制度により受け継がれて来た。気になっていたことを聞いてみる。「次のダライ・ラマは、どうなるのかな?」

「ダライ・ラマ法王は今年で82歳になられる。そのあとどうなるかは、僕たちも実際に心配だよ。彼は最近、チベット(現在中国の一部)の外で生まれ変わると、宣言したばかりだ。(*1) 中国が、次のダライ・ラマを政治的に利用しないために。」

インド・ヒマーチャル・プラデーシュ州のダラムサラに、チベットは亡命政府をおいている。インドも中国との関係でいつ立場を変えるかわからない。亡命チベット人のインドにおける立場は、今のダライ・ラマ法王がいてこそのバランスである。

チベット民族はどうなるのか?
「文化があるうちは大丈夫。守れると思う。」とチョーデックさんは真摯に言った。

チベット本土には自由がない。チベット人として振る舞うことが許されない無慈悲な弾圧によって、文化は消滅の危機にある。
存続の鍵になるのは、本土の外に生きている亡命チベット人たちだ。

注釈
(*1)チベット仏教高僧ゲシェ・ペマ・ドージ/Geshe Pema Dorjee 『ゲシェ』とはチベット仏教の最高学位の称号である。

写真・文=小林洋子

インドの中の異国、マジュヌカティラへ。チベットの話【1】
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