ヒマラヤ山脈の北側の仏教国、チベットは今は中国の一部となってしまった。散り散りになった同胞たちは、亡命先のインドで身を寄せ合い小さなコミュニティになっている。
チベット人難民キャンプから発生したコミュニティ
インドにあって、インドでない場所。インドの首都デリーのマジュヌカティラ/Majnu ka tilla、チベット人居住区(チベタンコロニー)。ここは亡命チベット人が集まって住んでいる地区だ。
チベット人居住区は、鉄道中央デリー駅から北に行った、大きな幹線道路/the Outer Ring Roadとヤムナ川との間にある。道路側からの居住区への入り口は3カ所。一歩入るとここはオールドデリーの喧騒とは違った空気を纏う、小さなチベット文化圏であることがわかる。
細い路地を入っていく。カクカクと曲がった迷路のような作りで、そこに所狭しと積み重なるように住居やお店が立ち込んでいる。この街自体が路地裏だけでできているようだ。中心にゴンパ(チベット仏教寺院)と四角い広場があった。
誰でも入れる異国とあって、色々なインド人達も出入りしている。
今時のインド人の若者たちもチベット料理を食べに来たり、チベタンの住んでいるこの街と近いようだ。
1948年以降、毛沢東率いる中国軍にチベットは侵攻されていった。そして、ダライ・ラマ法王14世(当時14歳)の亡命の引き金となった、1959年の『ラサ蜂起』。
マジュヌカティラの住民の多くは1959年以降にダライ・ラマ法王14世を追ってインドに亡命したチベット人である。ヤムナ川沿いのこの場所に自然発生的に集まってきて、1960年代にインド政府からチベット難民地区として割り当てられた。現在は2,000-3,000人位が住むコミュニティとなっている。(*1)
マジュヌカティラの夜
寝ている犬をまたいで歩くほど、道は狭い。細い迷路を進み、突き当たりを目指す。
とはいえ、マジュヌカティラ地区は南北に細長く全長1km程度、15-20分で端から端まで歩ける狭い範囲内である。コロニーの端へ向かう道は薄暗い。
映画にでも出てきそうな、ちょっと変わったレストランに着いた。
来るまでの静けさとはうって変わり、トタン屋根の建物の中は多くの客で賑わっている。
「ショーク」と呼ばれるダイズゲームに興じている男性達。2つの麻雀卓のようなものを囲んだダイズゲームの人の輪と卓球台がある。時々、真剣な男たちの落胆の叫びと歓喜の声が起こる。インドのどこでも見たことの無い光景を横目にしながら、チベット料理をいただく。
ここへ連れて来てくれたのは、チョチョ(お兄さんの意)・チョーダックさん。
デリーに来る際にマジュヌカティラを常宿にしているフランス人の友達が、彼を紹介してくれた。
チョーダックさんは自分のこと、チベットのことを話してくれた。(彼の許可を得て掲載したい。)
チベットの学校、Tibetan Children Village
彼は、チベット人難民2世。
インド北部のパンドー/ Pandohという村の出身で、マナリ/ Manaliのチベット子ども村/TCV(Tibetan Children Village)に行っていた。ダラムサラを経て、のちフランス人家族のサポートを得て1996年にデリー大学へ進学し、卒業以来ずっとここマジュヌカティラに住んでいるそうだ。
今日ここまでの道すがら、何人もの友達とすれ違って挨拶を交わしていた。きっと彼の顔も広いのだが、家族もそうでない者も寄りそって暮らしているチベットコミュニティの強い結びつきを感じた。
「TCVはTibetan Children Villegeの略で、インドのダラムサラ、バイラクピ、デリーなどにあるチベット人の子供のための全寮制の学び舎だよ。ちなみに、チベタンコロニー内にあるTCVはデイスクールだけれど。」と、詳しく教えてくれる。
TCVはチベット亡命政府が運営している学校だ。英語で教える一般科目に加えてチベット言語のクラスもある。中国の一部となってしまった今、本土でチベット人としての教育をすることができなくなった。中国が同化政策を強いているためである。(*2)「(チベットにいる)親は子供だけでもチベット人としての教育を受けさせたい、とインドに送り込んで、TVCに預けているんだよ。」
チベットからインドへの亡命は、1000キロ以上もヒマラヤ系の山を越え、命がけで歩き続ける過酷な旅である。(*3) 親は親しい者に託したのだろうか。子供がそれを歩いて来たと思うと言葉にならない。
注釈
(*1) チベット民族の人口は全世界で約600万人と言われている。そのうち亡命人口は約134,000万人、うちインドに100,000人。
http://www.tibethouse.jp/about/information/exile/
(*2) 中国政府が強いている民族同化政策は、チベットの文化を破壊している。
参考
(*3) チベットから亡命した子供達をテーマにした、ドキュメンタリー映画
『ヒマラヤを越える子供たち Escape over the Himalayas』2000年、ドイツ マリア ブルーメンクローン Maria Blumencron
チベットからヒマラヤ山脈を越えてインドへと亡命する子供達に同行してその姿を捉えた29分間の短編ドキュメンタリー。
『オロ』2012年、日本 監督:岩佐寿弥
「なぜ母はぼくを異国へ旅立たせたのだろうか?」6歳で亡命したオロの姿を一台のカメラが撮影し続けた。
写真・文=小林洋子
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インドの中の異国、マジュヌカティラへ。チベットの話【1】
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